Perfume「ワンルーム・ディスコ」3月
3月25日発売の8枚目のシングル。前年の「love the world」に続いて、中田ヤスタカのプロデュースが続いた。
- Perfume
- 中田ヤスタカ
あの頃の世の中を、年単位で振り返る
1990〜2009年/120件を収録
2009年のアイドルはAKB48の系列が動き出した年である。8月5日にSKE48が「強き者よ」でメジャーデビューし、AKB48自身も8月26日の「言い訳Maybe」から売り上げが目に見えて伸び、10月21日の「RIVER」でオリコンの週間1位を初めて取った。ハロー!プロジェクトからはBerryz工房とモーニング娘。が1枚ずつ出し、3月にはPerfumeが「ワンルーム・ディスコ」を出している。
3月25日発売の8枚目のシングル。前年の「love the world」に続いて、中田ヤスタカのプロデュースが続いた。
2008年のアイドルは、AKB48の系列が形になった年だった。名古屋・栄に専用劇場を持つSKE48がこの年に立ち上がり、AKB48は10月22日にメジャー10作目の「大声ダイヤモンド」を出している。ハロー!プロジェクトからは4月にモーニング娘。「リゾナント ブルー」と℃-ute「涙の色」が1週間違いで並び、11月にはBerryz工房が「MADAYADE」を出した。7月9日のPerfume「love the world」は、前年の「ポリリズム」に続く1枚である。
7月9日発売の5枚目のシングル。中田ヤスタカのプロデュースで、前年の「ポリリズム」に続く1枚になった。
2007年のアイドルは、前年から動き出した各グループが形を固めた年である。2月21日に℃-uteが「桜チラリ」でメジャーデビューし、結成から約1年8か月かかっている。AKB48は4月7日にチームBを作って3チーム体制を整え、7月18日にはメジャー4作目の「BINGO!」を出した。9月24日にはジャニーズ事務所がHey! Say! JUMPの結成を発表し、11月14日にCDデビューしている。ハロー!プロジェクトからはモーニング娘。とBerryz工房が1枚ずつ出した。
2月21日にメジャーデビュー。2005年6月の結成から約1年8か月かかっている。
4月7日、3期生とチームAからの異動者でチームBが結成された。劇場を回す3つのチーム体制がここで整った。
9月24日に結成が発表され、11月14日にCDデビューした。10人という当時としては大きな編成だった。
2006年のアイドルは、前年に秋葉原で動き出したAKB48が2月1日にインディーズ1枚目「桜の花びらたち」を出したところから始まる。3月22日には結成から6年をかけたKAT-TUNが「Real Face」でデビューし、同じ3月にモーニング娘。が29枚目の「SEXY BOY 〜そよ風に寄り添って〜」を出した。6月28日にはPerfumeが中田ヤスタカのプロデュースで「エレクトロ・ワールド」を出しており、この年に出た3組はいずれも後に大きくなる。
2月1日発売のインディーズ1枚目のシングル。前年12月に始まった劇場公演から、最初の1枚が出た。
6月28日発売の3枚目のシングル。中田ヤスタカのプロデュースによるテクノポップで、後の飛躍につながる1枚になった。
2005年のアイドルは、ハロー!プロジェクトが中心にありながら、その外側で新しい形が始まった年だった。モーニング娘。は1月に「THE マンパワー!!!」、7月に「色っぽい じれったい」を出し、3月にはBerryz工房が「スッペシャル ジェネレ〜ション」を、同じキッズの残りで℃-uteが結成されている。一方で11月にはドラマの役名から修二と彰が生まれ、12月には秋元康のプロデュースでAKB48が秋葉原を拠点に動き出した。専用の劇場で公演を重ねるという売り方は、それまでのアイドルには無かったものである。
3月30日発売の6枚目のシングル。ハロー!プロジェクト・キッズから出たグループの代表曲になった。
6月11日にハロー!プロジェクト・キッズの残るメンバーで結成された。2007年2月にメジャーデビューし、2017年まで活動した。
2004年はハロー!プロジェクトの人の出入りが大きかった年。3月3日にBerryz工房がメジャーデビューし、5月2日には2000年から続いたミニモニ。が活動を終えた。ミニモニ。にいた辻希美と加護亜依はこの年からデュオのWとして動き出している。モーニング娘。は5月12日に「浪漫 〜MY DEAR BOY〜」を出し、松浦亜弥は1月に「奇跡の香りダンス。」を出した。ほかにBoAが1月に3枚目のアルバム『LOVE & HONESTY』を出し、ジャニーズでは関西のメンバーによる関ジャニ∞が結成されている。
3月3日にハロー!プロジェクトの新ユニットとしてメジャーデビュー。当時の平均年齢は11歳前後だった。
2000年6月から続いたモーニング娘。の派生ユニットが、5月2日をもって活動を終えた。辻希美と加護亜依はこの年からデュオのWで動き出す。
2003年のアイドルは、ハロー!プロジェクトの人の動きが目立つ年。1月7日には藤本美貴がモーニング娘。の6期メンバーとして加入し、すでにソロ歌手だった人が入るのは異例だった。4月23日の「AS FOR ONE DAY」はその新体制での曲で、8月13日には1期メンバーの安倍なつみがソロデビューしている。3月には松浦亜弥が「ね〜え?」を出した。ジャニーズ側では9月にNEWSがお披露目され、韓国から来たBoAは1月に2枚目のアルバム『VALENTI』を出して日本での地位を固めた。
1月7日から藤本美貴が6期メンバーとして加入。すでにソロ歌手として活動していた人が入るのは異例だった。
3月12日発売の9枚目のシングル。前年の「Yeah! めっちゃホリディ」に続き、あややの人気が続いた時期の1曲。
2002年は春にデビューが並び、年末に成果が出た年。3月は12日に藤本美貴のソロデビュー、13日にBoAの日本での1枚目のアルバムと2日続き、5月には前年デビューの松浦亜弥が「Yeah! めっちゃホリディ」で広く知られるようになった。モーニング娘。は2月の「そうだ! We're ALIVE」がこの年の顔で、グループの人数が最も多かった時期にあたる。男性側ではタッキー&翼がこの年デビューし、前年デビューのw-inds.が紅白歌合戦に初出場した。
2月20日発売の14枚目のシングル。メンバーが最も多かった時期の1曲で、この年のグループの顔になった。
5月29日発売の6枚目のシングル。前年デビューの「あやや」がこの曲で広く知られるようになった。
2001年のアイドルは、デビューが春に集中した年だった。3月は7日にCHEMISTRY、14日にw-inds.、28日に後藤真希のソロと3週続けてデビューが並び、w-inds.はその年のレコード大賞最優秀新人賞を受賞している。4月11日には松浦亜弥が「ドッキドキ!LOVEメール」でデビューし、「あやや」として売れた。年明け1月にはモーニング娘。の派生ユニットであるミニモニ。が始まり、7月の「ザ☆ピ〜ス!」まで、つんく♂が手がけるグループが最も大きかった時期にあたる。
1月17日に「ミニモニ。ジャンケンぴょん!/春夏秋冬だいすっき!」でデビュー。身長制限のあるモーニング娘。の派生ユニットで、子ども向け番組でも人気になった。
3月7日に「PIECES OF A DREAM」でデビュー。オーディション番組『ASAYAN』から生まれた男性ボーカルデュオ。
4月11日に「ドッキドキ!LOVEメール」でデビュー。「あやや」の愛称で、ハロー!プロジェクトのソロ歌手として売れた。
2000年のアイドルは、始まりと終わりが同じ年に並んでいる。モーニング娘。は1月7日に市井紗耶香が卒業し、5月には石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・加護亜依の4期メンバーが「ハッピーサマーウェディング」でデビューした。ハロー!プロジェクトでは2月にメロン記念日が加わる一方、太陽とシスコムーンから改名したT&Cボンバーが10月の大阪公演で解散している。沖縄勢では、10代でヒットを重ねたSPEEDが第1期の活動を終え、入れ替わるようにFolder5が動き出した。
第3回追加オーディションで石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・加護亜依の4人が合格。5月のシングル「ハッピーサマーウェディング」でデビューし、グループは一気に大所帯になった。
1月7日、大阪厚生年金会館の公演をもって卒業。3期メンバーとして加入してから2年3か月あまりでの離脱だった。
沖縄アクターズスクール出身の5人組。男女混成グループFolderの女性メンバーが再結成した形で、この年から活動を始めた。
太陽とシスコムーンがこの年に改名した名義。10月の大阪公演を最後に解散し、ハロー!プロジェクト創設期のユニットがひとつ幕を閉じた。
沖縄アクターズスクール出身の4人組が、この年で第1期の活動に区切りをつけた。1996年のデビューから4年、10代のうちにヒットを重ねたグループだった。
1999年のアイドルは、モーニング娘。を核にしたユニットの拡張と、嵐のデビューが重なった年だった。9月には第2回追加オーディションで後藤真希が3期メンバーとして加入し、11月にはグループ内ユニットのプッチモニが「ちょこっとLOVE」でデビューしてオリコン2週連続1位を取っている。先に結成されていたタンポポは3枚のシングルを出し、『ASAYAN』からは大人寄りの太陽とシスコムーンも生まれた。同じ11月3日には嵐が「A・RA・SHI」でCDデビューし、9月には小柳ゆきが17歳の歌唱力で登場している。
11月3日にシングル「A・RA・SHI」でCDデビュー。同年に結成された5人組で、以後20年以上にわたって活動する国民的グループとなった。
9月に『モーニング娘。』第2回追加オーディションに合格し3期メンバーとして加入。本来は2人採る予定だったが、つんく♂が「10年に1人の逸材」として後藤1人を選んだ。
モーニング娘。から生まれた2番目のグループ内ユニット。11月25日のデビュー曲「ちょこっとLOVE」はオリコン2週連続1位となり、翌年ミリオンセラーに達した。
モーニング娘。から生まれた最初のグループ内ユニット。1998年10月に石黒彩・飯田圭織・矢口真里で結成され、1999年は「たんぽぽ」「聖なる鐘がひびく夜」など3枚のシングルを出した。
『ASAYAN』から生まれたハロー!プロジェクト創設期の4人組。モーニング娘。より大人寄りの路線で、つんく♂が後年「ハローのサウンドの法則を作り上げるにもっとも貢献したユニット」と振り返っている。
9月15日にシングル「あなたのキスを数えましょう 〜You were mine〜」でデビュー。17歳とは思えない声量と歌唱力が話題を呼んだ。
1998年のアイドルは、テレビのオーディション番組が送り出し口になっていた。1月にメジャーデビューしたモーニング娘。と、7月にデビューした鈴木あみはどちらもテレビ東京系『ASAYAN』の出身で、4月に「Timing」がミリオンセラーとなったブラックビスケッツと、その好敵手ポケットビスケッツは日本テレビ『ウリナリ!!』から生まれた。歌番組ではなくバラエティが新人を出す場になっていたことが、6組のうち4組に表れている。
1月28日にシングル「モーニングコーヒー」でメジャーデビュー。テレビ東京系『ASAYAN』のオーディションから生まれたグループで、以後メンバーを入れ替えながら続いていく。
7月1日にシングル「love the island」でデビュー。『ASAYAN』出身で、小室哲哉プロデュースのダンサブルな楽曲を歌った。
4月22日発売のシングル「Timing」がオリコン年間4位のミリオンセラーに。日本テレビ『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から生まれた、南原清隆・天野ひろゆき・ビビアン・スーの3人組。
同じ『ウリナリ!!』から生まれたユニットで、ブラックビスケッツとは番組内で対決を繰り返した。この年はシングル発売を賭けた対決に敗れ、「My Diamond」の発売を翌年に持ち越している。
沖縄アクターズスクール出身の4人組。今井絵理子・島袋寛子・上原多香子・新垣仁絵が10代でヒットを重ね、この年も「my graduation」が支持された。
1997年のアイドルは世代交代の分かれ目だった。安室奈美恵は「CAN YOU CELEBRATE?」で女性ソロ歌手として歴代最高のシングル売上を記録しながら、秋には婚約と妊娠を公表して活動休止に入っている。入れ替わるように7月にはKinKi Kidsがジャニーズ初のデュオとしてデビューして初登場1位を取り、9月にはテレビ東京『ASAYAN』のオーディション落選者5人でモーニング娘。が結成され、インディーズシングルを5日で5万枚売る条件を達成した。ポケベルのCMから広まった「ヒロスエブーム」が頂点を迎えたのもこの年である。
4月にシングル「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビュー。ポケベルのCMから広がった人気は「ヒロスエブーム」と呼ばれ、この年に頂点を迎えた。
7月にシングル「硝子の少年」でCDデビュー。ジャニーズ初のデュオとして初登場1位を獲得し、以降のシングルでも記録を積み重ねた。
9月にテレビ東京『ASAYAN』のオーディション落選者5人で結成。インディーズシングル「愛の種」を5日で5万枚売る条件を達成し、翌年メジャーデビューへ進んだ。
10月発売の「White Love」がミリオンを超えるヒットとなり、10代4人組として国民的な人気を確立した。沖縄アクターズスクール出身。
「CAN YOU CELEBRATE?」が女性ソロ歌手歴代最高のシングル売上を記録し、アムラー現象が頂点に達した。秋にはSAMとの婚約と妊娠を公表して活動休止に入った。
1996年のアイドルは安室奈美恵を中心に回った年で、7月のアルバム『SWEET 19 BLUES』がトリプルミリオン、シングルも3曲がミリオンとなり、「アムラー」という言葉を生んだ。同じ小室哲哉のもとで華原朋美が3月に「I'm proud」をミリオンに乗せている。沖縄アクターズスクールからは8月にSPEEDが10代4人組でメジャーデビューした一方、3月にはWinkが活動を停止し、5月にはSMAPの森且行がオートレース選手へ転身するため脱退した。
5月31日をもって森且行がオートレース選手へ転身するためSMAPを脱退。5人体制となり、以後グループはさらに活動の幅を広げた。
7月にセカンドアルバム『SWEET 19 BLUES』を発売しトリプルミリオンを記録。この年はシングル3曲もミリオンとなり、「アムラー」を生む中心になった。
8月5日にシングル「Body & Soul」でメジャーデビュー。沖縄アクターズスクール出身の10代4人組として、以後の歌って踊るグループの流れをつくった。
3枚目のシングル「TORA TORA TORA」を発売。安室奈美恵のバックダンサーだったSUPER MONKEY'Sから独立し、沖縄出身の4人組として本格的に動き出した。
1995年は新人の当たり年で、6組のうち5組がこの年にデビューしている。5月のMAX、8月の鈴木蘭々、9月の華原朋美、11月のV6と相川七瀬が1年のうちに出そろった。なかでも小室哲哉の存在感は大きく、9月に華原朋美を新レーベル第1弾として送り出し、10月には安室奈美恵のプロデュース第1弾「Body Feels EXIT」を発表している。
バレーボールワールドカップのイメージキャラクターとして結成されたジャニーズのグループ。1995年11月1日に「MUSIC FOR THE PEOPLE」でCDデビューした。
この年ソロとして飛躍。1月の「TRY ME 〜私を信じて〜」が73万枚の大ヒットとなり、10月には小室哲哉プロデュース第1弾「Body Feels EXIT」を発表した。
1995年9月8日にシングル「keep yourself alive」で歌手デビュー。小室哲哉プロデュースの新レーベル第1弾アーティストとして注目を集めた。
「安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S」から安室を除く4人で結成。1995年5月10日に「恋するヴェルファーレダンス 〜Saturday Night〜」でCDデビューした。
1995年11月8日に「夢見る少女じゃいられない」でデビュー。織田哲郎プロデュースによる骨太なロックサウンドで、女性ロックボーカルの新たな顔となった。
フジテレビ『ポンキッキーズ』のレギュラーとして人気を集め、1995年8月8日に「泣かないぞェ」で歌手デビュー。安室奈美恵とのユニットでも活動した。
1994年のアイドルは入れ替わりの年だった。9月から11月にかけてTOKIO、内田有紀、hitomiと3組が相次いでデビューする一方、同じ9月に『夕やけニャンニャン』の流れをくむCoCoが解散し、東京パフォーマンスドールからは篠原涼子が退団してソロでミリオンヒットを放っている。内田有紀のデビュー曲は女性ソロとして史上初のオリコン初登場1位となり、SMAPはこの年だけで4枚のシングルを出しながらバラエティへも活動を広げた。
1994年9月21日に「LOVE YOU ONLY」でCDデビューしたジャニーズのバンド形態グループ。楽器を持つアイドルとして独自の位置を築いた。
2月期のドラマ『時をかける少女』で連続ドラマ初主演。10月には「TENCAを取ろう! -内田の野望-」で歌手デビューし、女性ソロのデビュー曲として史上初のオリコン初登場1位を記録した。
1994年11月21日に小室哲哉プロデュースの「Let's Play Winter」でCDデビュー。小室ファミリーの一員として以後のヒットにつながった。
踊るアイドル集団として人気を集めたグループ。フロントメンバーだった篠原涼子は9月に退団し、ソロでミリオンヒットを放った。
1993年のアイドルは、踊るグループへの世代交代が進んだ年だった。6組のうち、小室哲哉プロデュースのtrf、安室奈美恵を擁するSUPER MONKEY'S、篠原涼子らの東京パフォーマンスドールの3組がダンスを軸にしている。一方で6月には1988年デビューの男闘呼組が活動休止し、「アイドル冬の時代」と言われるなかで高橋由美子や観月ありさはドラマ主演と歌を行き来していた。
1993年2月25日に「GOING 2 DANCE / OPEN YOUR MIND」でデビューした小室哲哉プロデュースのダンスユニット。以後の小室サウンド全盛の口火を切った。
2月24日にシングル「Good Love」を発売し、主演ドラマ『お願いダーリン!』の主題歌となった。アイドル冬の時代に正統派アイドルとして支持を集めた。
4月に安室奈美恵ら4人体制の「SUPER MONKEY'S 4」となり、5月に『忍たま乱太郎』エンディング曲「ダンシング・ジャンク」を発売した。
6月30日付で活動休止。1988年にジャニーズ事務所からデビューしたバンド形態のアイドルグループで、80年代型アイドルがひとつの区切りを迎えた。
7月5日放送開始のフジテレビ『じゃじゃ馬ならし』で連続ドラマ主演。5月には松任谷由実作詞・作曲の「今年いちばん風の強い午後」を発売した。
8月16日・17日に日本武道館で「Dance Summit -That's the REVUE-」を開催。篠原涼子らを擁し、踊るアイドル集団として人気を広げた。
1992年のアイドルは、テレビのオーディション番組が送り出し口になっていた。フジテレビ『パラダイスGoGo!!』の乙女塾からはCoCo・ribbon・Qlairが、テレビ朝日『桜っ子クラブ』からはさくら組が生まれている。1988年デビューのWinkは表情を変えない歌い方で独自の位置にいて、1990年に始まった東京パフォーマンスドールは、多人数で歌って踊るグループの形を日本で最初に確立したとされる。のちのモーニング娘。やAKB48につながる原型が、この時期に出そろっていた。
1989年にフジテレビ『パラダイスGoGo!!』の乙女塾から生まれた女性アイドルグループ。1994年の解散まで、90年代前半のアイドルシーンの中心にいた。
CoCoと同じ乙女塾から1989年にデビューしたグループ。1990年代前半のアイドルシーンを、CoCo・Wink・Qlair・桜っ子クラブなどとともに引っ張った。
1990年に始まった第1期。多人数でスタイリッシュに歌って踊る女性アイドルグループのスタイルを、日本の音楽史上で初めて確立したグループとされる。
テレビ朝日『桜っ子クラブ』(1991年4月6日〜1994年9月17日)のメインキャラクターだったグループ。番組の進行を務めながら歌手活動も行った。
1991年のアイドルは新顔が並んだ年で、6組のうち5組がこの年にデビューか初の紅白出場を果たしている。9月9日にCDデビューしたSMAPは、そのままの曲で第42回NHK紅白歌合戦にも初出場した。2月14日にデビューしたMi-Keは「想い出の九十九里浜」で日本レコード大賞の最優秀新人賞を、乙女塾3期生の中嶋美智代は「赤い花束」で同じ大賞の新人賞を受けている。5月には14歳の観月ありさが「伝説の少女」で歌手デビューし、森口博子は映画『機動戦士ガンダムF91』の主題歌「ETERNAL WIND」、西田ひかるは8月の「ときめいて」で、それぞれ紅白の舞台に立った。
9月9日に「Can't Stop!! -LOVING-」でCDデビュー。1988年に光GENJIのバックを務めるスケートボーイズから6人で結成されたグループで、この曲で第42回NHK紅白歌合戦にも初出場した。
2月14日発売のデビュー曲「想い出の九十九里浜」がオリコン5位のヒットとなった3人組。B.B.クィーンズのコーラス隊から独立した形で、第33回日本レコード大賞の最優秀新人賞(ポップス・ロック部門)を受けた。
5月15日に日本コロムビアから「伝説の少女」を発売して歌手デビュー。当時14歳で、表題曲は自身が出演したキリンビバレッジ「シャッセ」のCMソングだった。
2月5日発売の9枚目のシングル「ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜」が映画『機動戦士ガンダムF91』の主題歌となりオリコン週間9位を記録。この曲で紅白歌合戦に初出場した。
8月7日にポニーキャニオンから通算12枚目のシングル「ときめいて」を発売。この曲で第42回NHK紅白歌合戦に初出場している。
フジテレビのタレント育成講座・乙女塾の3期生。この年のデビュー曲「赤い花束」で第33回日本レコード大賞の新人賞と第22回日本歌謡大賞の優秀放送音楽新人賞を受けた。
1990年のアイドルは、デビュー組と定着組がきれいに分かれた年だった。8月22日に「お祭り忍者」で出てきたジャニーズの忍者はアクロバットを持ち味に第32回日本レコード大賞の最優秀新人賞を受け、4月21日には高橋由美子が『魔神英雄伝ワタル2』主題歌の「Step by Step」でデビューしている。同じ4月、原宿RUIDOで「ゴルビーズ」として始動した東京パフォーマンスドールは、多人数で歌って踊るスタイルを日本で初めて確立した第1期の出発点になった。一方で光GENJIは8月にデビュー3周年の「CO CO RO」を出し、中山美穂の「愛してるっていわない!」、工藤静香の「くちびるから媚薬」とあわせて、この3組はいずれも紅白歌合戦に3回目の出場をしている。
8月22日にデビューシングル「お祭り忍者」を発売したジャニーズ事務所のグループ。アクロバットを持ち味とし、第32回日本レコード大賞の最優秀新人賞を受け、紅白歌合戦にも初出場した。
4月、原宿RUIDOを母会場にエピック・ソニーとFプロジェクトが企画した「ゴルビーズ」として始動。多人数で歌って踊るスタイルを日本で初めて確立した第1期の出発点にあたる。
4月21日にシングル「Step by Step」で歌手デビュー。アニメ『魔神英雄伝ワタル2』の主題歌で、1枚限りの企画物の予定がアニメの人気とともに本人にも注目が集まった。
8月18日にデビュー3周年の記念シングル「CO CO RO」を発売。ローラースケートで歌う10枚目のシングルで、この年の紅白歌合戦にも3回目の出場を果たしている。
10月22日に20枚目のシングル「愛してるっていわない!」を発売。歌手と女優を並行する当時の代表格で、紅白歌合戦には3回目の出場となった。
1月10日に9枚目のシングル「くちびるから媚薬」を発売。おニャン子クラブ出身のソロとして人気を保ち、この年の紅白歌合戦にも3回目の出場をしている。